昭和46年03月23日 朝の御理解
御理解 第2節
「先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない」
御神徳というものは、先の世までも持って行かれ、子孫にも残るもの。私は、ここのところを信じられたら、と言う、何をおいても信心をしなければおられない事になると思う。信心すれば、誰でも受けることができると仰せられる。「先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ」と、先の世までも持ってゆかれると。もう先の世の事は、もう死んだ先のことなんだから、もう死んだ先の事はどうでもよい。
子孫までも残ると言うても、先ずもう私自身がおかげを受ければと、言う様な所で信心が留まったり、ぐるぐる堂々巡りをしたりしとるようなものですね。先の世までも持っていかれるもの、そして子孫にも残せておけれるもの。そう言う所に思いを置かない。信心すれば誰でもが受けられると。所がお道の信心をさせて頂いた者が、ここほんなら教祖御出現によって、私共が天地金乃神様のおかげを受けられる様になった。
その此の方その事以来ですどれほどしの、沢山な人が信心をしたか分かりません。けれども信心をすれば、誰でも受けられるという事なのですけれども。それが受けられていないという事実が、皆さんの周囲にも沢山ありますでしょう。ですから成程拝む事は拝みよる。おかげは頂いた。けれどもそれはおかげだけであった。先の世までも持っていかれるものでもなからなければ、子孫にも残るものでなかった。
どうしたことであろうか。それは先の世までも持って行かれ、子孫までも残るのは神徳じゃと仰せられる、そこのところを信じる事ができなかったからだと、私は思うんです。信心とは「信ずる心」と書いてある。信心とは信ずる心である。何を信ずるか先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るというほどしの事をです信ずるという事。そこのところが、はっきりと分かってき、信じられるようになればです。
今私が申しますように、これは神徳を受けられる信心にならなければおられないという事になる。しかもそれは、みてるという事がない。限りがない。そこでですそこで私は、今日ここのところを頂いてから思うのですけれども、私共のまあ先輩と申しますか。本当に御神徳を受けられたという方達。または御神徳を受けておられると思われる方達の信心を、一つ本気で追求し本気で分らせて頂こうという気になる事だと思う。
自分がおかげを頂くという事、これもねこれももちろん頂かなければなりませんけれども。先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るほどしのものが神徳だと。そこを信じれれるためにです。あの人こそ神徳を受けた方であろうと、または私共の先輩の中にです、御神徳を受けられて、おかげを受けられたという方達の信心を追求することだと。いやそういう信心に神習わせて頂く事だと。
久留米の初代、石橋松次郎先生は、御神徳という事を「神の信用」というふうに言っておられるね。神様からの御信用じゃと仰っておられた。ですからね私よりも初めから、あの、御神徳を受けよう、初めから先の世までも持って行かれ、子孫までも残るようなものを頂こうと思うて、ご信心をなさったのじゃないと。初めの間はやはりおかげを受けたい、その一念が強かった。
そして例えば、昨日から頂きます御理解のように、楽とは心が大きくなることだと、こう言う。大きなおかげを頂きたい。大きなおかげを頂きたいならば、やはり受け物が大きくなからなければならん。そりゃもう理の当然である。そこでそんなら受け物を大きくする事のためには、どういう信心をさして頂いたらよいかと言った様な、まあ昨日は、そこのところをまあ言うならば、あらゆる角度から頂いた感じでしたね。
だから昨日私が申しましたようなところを本気で行じ、本気で頂くという事になって行く内にです。私は御神徳に触れて行くのだという風に思います。また先輩の方達の先生方は、そういう信心によって御神徳を受けられたと、こう思うです。立教神殿の最後の所に、此の方のように実意丁寧神信心いたしおる氏子が、世間になんぼうも難儀な氏子あり取次ぎ助けてやってくれ。神も助かり氏子も立ち行き。氏子あっての神神あっての氏子末々繁盛いたし、親にかかり子にかかりあいよかけよで立ち行きとありますね。
ここのところを分らせて頂きますとね、天地の親神様がいかにね、おかげをやりたいと、幸せになってくれと、例えば思われただけではです、私共がおかげを受けられない事が分かりますね。金光大神への神頼みというものが、なされておるところから見て、そう思います。神様が私共にですおかげを、例えば下さる事の、実際はできなさらん。そこで金光大神に頼まれた。
お前のように実意丁寧神信心する氏子が、取次ぎ助けてやってくれと、おかげを取次いでやってくれと、御神徳を取次いでやってくれと。ですから私共は結局教祖生神金光大神に、いわば神習わせて頂くという事。ですから天地の親神様の、ご信用もさることながら、金光大神の御信用を頂かなければならん。まあそれを段々煎じ詰めていくとです。まぁどういう事になりますでしょうかね。
私共のいわゆる先輩、手続きの例えば親である所の、小倉の桂大先生とか、久留米の初代の石橋先生とか、まさしく御神徳を受けられておられただろうと思われる方達の、言わば、御信用を受けられる私達にならなきゃいけない。 私はね昨夜こんな不思議な事がありました。今でも私はそれを本当と思われないようにあるんですけれども、確か頂いた事ですから、聞いて頂くならですね。
昨夜今日の霊祭が奉仕されるために、これはもう霊祭たんべんに、前の晩ほとんど一晩がかりで、今日お祭りを受けられる御霊様達の、まあ言うならば分かりやすく言うなら、お呼び出しをちゃんとさせて頂いた。御霊様達も整然と、今日のお祭りを受けられなさるような体制を整えておいて貰う。そして今日皆参る遺族の方達が、それに対して真心込めてのお祭りをさせて頂く訳である。その事をお願いさして頂いた。
昨日これは何時も私は御霊様のお祭りにかかる前に、必ず夜食をする。これが中々骨が折れますからね、もう本当お腹がぺこぺこになってから、何と言うんでしょうかね。やはり相撲取りが土俵に上がる様なものじゃないかと。またはまたはね電機工夫さんの、やはり大変優れた電気工夫は、生の電気が扱えなければ一人前じゃないと言われるくらいです。もうビリビリくるような電気が、その生で扱えれる人でなからなければ、一人前の電気工夫じゃないと言われておるように。
所謂生きた神様に相対し、現前とそこにある御霊の世界というか、その魂出しとの対決ですからね。そりゃなかなか間には強情なのがありますよ。強情な御霊様が。それをいちいち言わば説得し、納得させるというようなまあ分かりやすく言えば、そういう事なんです。私はここもう10日あまりですか、日田の麻生さんから、聞かせて頂いたお話の中に硫黄島に、団体で幽霊が出て来ると言うお話を聞かせて頂いた時に。
もう大変な事を聞かせて頂いという気がするんです。そういう話を今まで聞かんじゃなかったけれども、その時それがその実感であった。これは硫黄島だけじゃないなと。これはその沖縄前戦の、あの激戦地であった所にも、そうであり最近ではベトナムでの戦争の様子を、またはこの他テレビで見せて頂いた、それこそ川を覆うように死体が流れておる。戦争の悲惨さをです、テレビでそのまま映し出されておるのを見せて頂いて、生々しゅうです、そういう御霊達の事が思われる。
これは広島だけじゃない長崎だけじゃない。そう思わして頂いておったらです、その思いはもう限りなく広がっていった。そしてです私共は日々世界総氏子の身の上安全を願わせて頂くのと同時にです、世界総氏子の御霊の助かりを、これは本気で願わなければいけないなと、私は思わせて頂くようになった以来。ですからいうなら大変これは骨が折れるぞというような感じだった。
お祭りをかからせて頂く前にお夜食を食堂で、いっぱいあちらこちらから、私はお夜食を頂く事のために、準備をしてきて下さってある。いつも若い方達が7、8人ぐらい手伝うて頂く訳ですけれどお夜食の方だけ。昨日はもう遅かったもんですから、みんな休んでしまってる。文男さんと、高橋さんと、繁雄さんが、三人残っておられた。それで私いよいよまあ頂こうと思うてから、食堂に入らせて頂いて頂こうとしましたらね、世界総氏子の御霊の願い、という事なんです。
これは椛目時代にもそうでしたが、大変に難しいまあ言うならばです、一杯の水にも、恵まれず。一杯のお茶も頂けんで苦しんでおるという、例えば御霊達のために、沢山のお水やらお茶やらをお供さして頂き、まぁこれは仏教で言うとあのお盆の時なんか、いろんなお供え物をしましょう。その横に必ずこれは私共の婆は、そうしておりました。これはあの餓鬼道のためにという。
助かった御霊達に着いて来る沢山の言わば餓鬼道に落ちておる様な仏さんのために、これはしておくんだと言ったような、意味とはちょっと違いますけどね、昨日は。違いますけれども、そういう事のためにね、このお供が用意されたという事を頂いた。それからあただに、文男さんと高橋さんに手伝うて頂いてから、その沢山のお供を全部、御霊前にお供させて頂きました。
そして私はもう本当に有り難いの、有り難くないのと言うて、私がねたったまだ10日間余り、世界総氏子の御霊の事を願わせて頂いておればです、それを天地が聞いておって下さった、ほんなら願うからにはです、そういう難儀な氏子の御霊達のためにです、明日も御霊祭りがよりスムーズにいく事のために、今晩の言うなら、その事をなしておかなければならんという事。
もう御神前に出らして頂いた途端にね、私は御霊の喜びじゃなくて、神の喜びを受けたような感じが致します。それはまあ何とも言えん雰囲気の中に、昨夜そういう御霊のお祭りをさして頂くための前の言うならば、御大祭で言うなら前夜祭でありましょう。的な言わば行事が私一人、また沢山の御霊様達を相手にしての、そういうおかげを頂きました。その時に私は、御神前でお願いさせて頂いておる時に頂きました事がね。
あのひろ葉というのがありますね、お菓子やお弁当を包んだりしました、あのひろ葉一つ葉とも申します、お花の材料にも致します。あのねあの一つ葉が、いっぱい敷き詰めてある上にね。もうまぁ昨日私がここでお供えさして頂いたのが、お三方五台でしたけれどもそのお三方五台の物が、もうそれが沢山な量です。沢山な量をそのひろ葉に敷いて、御神前にそれこそうず高くお供えしてあるとこを頂いた。
そして今日私が言っておる、天地の親神様という方は、いかに氏子がかわいい、または世界中の御霊達の悩みというか苦しみというか。もうそれこそ悲惨なまでの苦しみに苦しみ抜いておる御霊達の、威容を御覧になってです。何とかしてどうかしてと、思われてもです、神様御自身ではお助けになる事はできない。これは私共の人間氏子の場合でも同じ事なんです。本当にあの人間は正直だ、仏様のような人じゃ、神様のような人じゃというような氏子の上にでもです。
はぁあれは、なかなか良い行いをしておるからおかげをやろうと思われてもです、やりたいと思われても、それをおやりになる事のできない天地のシステムというものがある訳です。決まりが。そこで教祖金光大神に神頼みになられたという事になる訳なんです。どうぞ、世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれという事になったんです。そこを「はい」と承われたところの教祖金光大神の御出現によって、私共が天地金乃神様のおかげを受けられるようになったという事になる。
ですから私共はです。いわゆる金光大神に神習わして頂く以外にはない、また金光大神の御信心を、ひた受けに受けられた二代金光様、三代金光様ひいては私共にとっては、先輩であるところの、小倉の初代または福岡久留米、私にとっては三井教会の初代の信心をです。ひた受けに受けさして頂くという事なんです。そこにで、私はおかげの受けられる事実をね、感じいやおかげの受けられるだけではない、御神徳が受けられるという事です。初代がああ言いよりなさった。
例えば小倉の桂先生がです、この有り難いこの名教を世界万国に広めよう、これが先生の御精神であった。このように有り難いです信心を世界万国に広げようと仰せられた。そこのところをひた受けにうけさして頂く事になって、私はです最近世界中の隅々にまで、このお道の信心を伝えなければならない。いわゆる和賀心時代をと、それを私が言っておるわけです。言うなら桂先生のご信心を、がっちり私が受け止めたという事になるのです。福岡の初代がです馬鹿と阿呆で道を開け。
もうこれが先生の信心の筋金であった。そこで例えばほんなら私の場合はです、そりゃ随分、馬鹿の様にも阿呆の様にも、まあそういうふうに取り扱われてまいりました時代が随分ありました。けれどもその事を受けて行く。いわゆる、昨日の私は思うのに、楽という字の木の、木が小さくては楽にはならん。自分が本当に経済の面でも全ての面で楽になりたいと思うならば、自分自身の心を大きゅうしていかにゃいけん。
その大きゅうしていく手立てを、昨日あらゆる角度から聞いて頂いた訳ですね。そこで馬鹿と阿呆になると言う事は、愈々こら底が抜けて大きゅうなる事なんですよ。そういう信心を本気で身につけさせて頂こうと思うてね、昔の所謂神愛会時代の綱領の第一に挙げられておったのが「馬鹿と阿呆で道を開け」という事であった。綱領のみが、信心辛抱、辛抱さえしとりゃ物事整わぬ事はないという、久留米の初代の石橋先生の信心。もうどんな事があっても泣く泣くでも、辛抱し抜かせて頂こうと決心した。
言うならば、石橋先生の信心を本気で、ひた受けに受けてきた。「こりを積むな、こりを積ますな、身を慎め」と三井教会の先代は、その事に焦点を置いて信心された。その事もでけんなりにも、まがりなりにもその事をです、はあここではねこりを積んじゃならん、積ましちゃならんと思うて、一生懸命こりを積まん修行を本気でさして頂いてきた。という事は私は今日の御理解を頂いて考えますのですね。
私はそういう私の先達先輩の先生方の信心を出来んなりにも、一生懸命努めてきた。とり分け桂先生が言うておられる。是はようやく去年あたりから、本気にその事に取り組ませて頂いておるという事をです、この有り難い信心を世界中の氏子に、どうでも分かって貰わなければならない。和賀心という所謂もう是は、どこの誰にでも説明さえして聞かせるなら分るだろうという、言わば可能性を持っておるのが和賀心である。
なるほどこの和賀心には、おかげが受けられると、人間が幸福になれれるんだ、幸せになれれるんだという確信を持ってです。その事をもうとにかく広めていきたいとこういう事。そこでですまた、昨日一つここで聞いて皆さんにおかしな話なんですけれども、聞いて頂きたい。まるきり私の自慢話のごとあるけれども聞いて頂きたい。昨日御霊様を終らして頂きまして最後に、小倉の桂先生の御霊様にお礼を申し上げるべく。
一生懸命御霊様を念じますけれども、どうしても私の心眼に現われて下さらんのです、桂先生の御霊様が。もうそれこそ願っても願ってもです、でないともう今まで折角長い時間かかってきたそれが、何か水の泡になるような気がした。最後にもう一言頼んどかなければならないとこう思った。そしたらね桂先生のお姿をかすかに頂いたと思うたら。今のじゃない先代七代になりますかね、歌舞伎役者に松本幸四郎という人がおりました。弁慶役者で有名だった。今の幸四郎じゃありません。
そのお父さんにあたる方。その方を今度は、はっきり頂くんですね。松本幸四郎を。そしてその松本幸四郎の中にですね、松本幸四郎をこう頂くならこの中にちょうど、これに合わせるように桂先生のお姿が、すうっと入ってから一体になられたんです。どういう事だろうと思うてから、願っても願ってもその事を、くり返しくり返し頂くんです。はあいつか私の事をもう本当に、お前のような幸せな者はおらんぞ、と神様が言うて下さった事があったが。ここでは当時九州の「三松」と言われられる。
いわゆる桂松平先生とか、久留米の初代の石橋松次郎先生とか、安武松太郎先生とかというこの、松の字の付いておられる先生方がもう、事実大徳を受けておられた。その大徳を受けておられた先生方の後を受けたのが私なんです。そういう意味合いであの「松本」という事はそういう「松」が「本」になってる、合楽の信心はしかも「幸四郎」とは「幸い」の「四郎」と書いてある。お前は本当に幸せな男だぞと、私が四番目なんです「四郎」桂松平先生が仰られたという。
四神金光様にある御届をなさった時に、四神様の神に大変なおかげを受けられて助けられた時に、桂先生が四神金光様と、この桂松平がね命のある限り、いや命のある限りではない、佐倉惣五郎という人は、昔あなたに生まれ変わってこの恨みをはらさねばおくものかと言うて死んだそうでございますけれども。この桂松平は七度生まれ変わって、この御恩に報います、と誓われたという事なんです。
だからどうでもこの桂松平先生の御精神というか生まれ変わりが、いつの時代にも必要だという事なんです。私はだからこれは誰でも本気になってその気になったら、桂先生の生まれ変わりでもあろうかというようなおかげを受けられる。それは今日私が申します、信心をすれば誰でも、御神徳が受けられる。その信心とはここんところを信ずる事ですね。「先の世までももってゆかれ、子孫までも残るのは神徳じゃ。
信心をすれば誰でもが受けられる」と仰るがほんなら信心はしとったけれども、誰でも事実は受けられていないじゃないか。してみると信心のそこが違う。それは信心とはただ、信ずる心だと。ほんなら、どこを信ずるかと。あの世までも持っていかれ、子孫までも残るという神徳。その事を信ずる事なんだ。その事が信じれれるのだ。 例えばさっきから申しましたあの、日田の麻生さんなんかは、もうその事の勉強をそれこそ何十冊の本を読破されて、いわゆる神の事実をね認めんわけにはいかん。
魂の実在を認めざるを得ない。そういう学問の上でそれを例えば分られた。そこで合楽の信心を頂かせて頂くに従ってです、もう愈々です神の事実とか魂の実在と言った様な事は、だけれどもそれが分っただけでは何にもならんという事。神がござるという事が魂の世界があるという事が分っただけでは何にもならない。そこが分かってここの所御神徳を例えば受けるために、私共はこの世に生まれて来とると言うても良いぐらい。
あの世までも持っていかれ、この世にも残しておけれる程しのものを頂く事の為の精進がです所謂、金光様の御信心であると、段々この頃分かって来られたという事なんです。そこでほんなら金光様の御信心とは、結局行の上に生活の上に、信心を現していく以外にはないとして、最近言っておられる様に。日月の心と言った様な心の自分に欠けておった事に気付いて、その事に本気で取り組んでおられるというのでありす。
例えば昨日「楽」楽とは心が大きくなる事だと、いわゆる大きくなる事のための修行を、本気に取り組んでいかなければならんのだという事になります。私が例えば世界中に、この有り難い信心を、どうでも広めなければならない。ほんならこの精神をまた皆さんの中に、誰かが受け継いで下さる。そこには七代に生まれ変わってという桂先生の御魂がです、または御精神がです、そこに生き生きと躍動してくる。躍如として。私は昨日ご霊前で頂いたのは、そういう事であるとこう思うた。松本幸四郎。
先ず桂先生がさぁっとこう入られたら、一つ一体になる。言うならば私の魂の中に桂松平先生の魂が入ってしまわれたという感じなんです。そらそうでしょうね、ご自分の信心をです、本気でひた受けに受けようとする氏子の上に、その働きがないはずがない。そこに桂先生の、言うなら御信心というか、御神徳というものがここに一つに入って来る働きというものが、これを疑う訳にはいけない事になって来る。
昨夜の御霊様へのいわゆるご挨拶をさして頂く時にです、そう言う様な事があった。例えば、私の願いというものがです。それは私たった一人の願いであり、それは微力と言えば、これほどの微力はなかろうけれどもです。その事が本気で願われる。世界中の総氏子の助かりだけではない、世界総氏子の魂の助かりをです、本気で願う氏子がそこにある時にです、神様がこれに目を止めなさらんはずがない。
それこそ我が意を得たりとしてです、神様がお喜び下さるだろう。そのお喜びは誰に返って来るか、私に返って来るんだと私は確信する。桂先生の御精神を私が、ひた受けに受けてです、その事をあなたの信心をです、私が頂いてあなたの御精神を私の生きておる限り、この事に取り組まして頂くという事になれば、桂先生はその私の魂の中に、桂先生の魂が入って来なさらんはずがない。だからこれは私の専売特許じゃない。
ほんなら皆さんとてもです、そこんところに思いが至られる時です、そこにそういう働きを受ける事ができる。沢山の人の言うなら、今の現在にです、桂松平先生が沢山おられなければならない訳なのであります。成程信心すればだれでも受けることができる。みてるということがない。というところが分るでしょう。桂先生がもうその精神を受けようとする者の魂の中に入って下さる。限りがないみてるということがない。というほどしのです。おかげが頂けれる。
私の信心をです、皆さんが本気で受けようとして下さる、頂いて下さろうとする。それは取りも直さず、石橋先生の信心を頂く事であり、福岡、小倉の信心を頂く事であり、ひいては三代様、四神様。そして教祖生神金光大神の御信心を頂くという事になる訳なんです。それが天地のまた御信用にならないはずはない。そこに私は御神徳が受けられる、御神徳の世界に住まわしてもらう。神徳を受ければ、心配はないと仰せられる。昨日から言うた事ですね。
神徳を受ければいつも心が楽だという事になってくる訳なんです。これが昨日の御理解なんですね。ですからそこのところをです、ひとつ目指さしてもらうという事はね、なかなか、初めからほんなら先の世までも持っていけるもの、残してまたはおけれるものを頂くために、と言うて、信心をするのではありませんけれど。昨日あたり頂きました、「楽とは心が大きゅうなることだ」と言った様な信心からです。本気で信心を頂かして貰うてそしていうなら、麻生さんじゃないけども、学問的に。
もうここに絶対神の実在を信じない訳にはいけない。魂の世界を信じん訳にはいかないと、例えば私共がおかげの世界で分らして貰うてです、そしてそれを真心一心を持ってその信心を生活の上に行じ、現していくと言う所からです、愈々御神徳を受けられる信心がある訳であります。どうぞ一つそこまで行った時にです、これは誰でも受けることが出来るという事になる。誰彼の専売特許じゃない。誰でもが受けられるのである。しかもみてるという事がないと仰せられるのですからね。
どうぞ。